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販売開始した『魔法物語』のこと

 魔法物語というタイトルで、かつて作品を発表したことがある。これを、書き直して再発表することにした。  最初に発表した頃、国産ファンタジーはあまり書かれていなかった。いや、私自身ほとんど書いたことなどなかったし、それどころか大して読んでもいなかった。  けれど、だからこそ書ける、ということがあるのだと私は思う。いろんな約束事も、まだ読者の側に出来上がっていなかったし、書くのに気にする必要もなかった。自由に、書きたいように書くことができた。  結果として、私は自分の作品の中でも、もっとも満足のゆくものが書けた、と思った。  まだ、本など出せていないアマチュア時代の話だ。  それでも、作品に力はあったのだろうと思う。紆余曲折はあったけれど、アマチュアの書いた原稿は、上下巻として発表することができ、少しだが好評もいただいた。アニメ化、などという話も一瞬くらいはあったらしい。  けれど、売れはしなかった。少部数の初版で、それっきりだった。  ターゲットがどうのマーケティングがどうの販売戦略がどうしたのと、能書きは垂れられる。けれど、今になって思うのは「売れなくて良かった」なのだ。  つらつら考えてみるに、この物語、とりわけ上巻にあたる『黒い風のトーフェ』は、私が書いたものではあるけれど、さまざまな状況がかみ合うことで発生した「出会い」のごとき物語だった。ほんの数分の、仲間たちとのそぞろ歩きの間に、ぽっとわいて出た物語だった。つまり、いわゆるギフトってやつなのだ。もしもこいつが売れていたら、きっと私は無理をしてこいつを越える作品を書こうとしていたろうし、きっとそれは出来なかったろうから、変なプレッシャーでつぶれていたに違いないのである。  いや、そうは言うものの、売れなかったという事実は、別の形で私にプレッシャーを与え、その後も魔法物語というフレームにこだわり続けてゆくことになるのだが……。  それはさておき。  初めてトーフェの原稿を書いてから、おそらく三十年ほどが経過した。いろんな状況が変わった。  とりわけ大きく変わったのは、自分の原稿を出版社を通さず気軽に本にできる時代になった、ということだ。  こだわりの作品は絶版、すなわち幻と化している。けれど、その気になれば自分の手で送り出せる。執筆能力そのものは落ちてきてもいるけれど、今ならばの力もあるはずだ。手直しをして、もっと良いコンディションで読めるようにできる。  と、思ったわけだ。  が、その手直しの能力もガタガタになっていた。何年もかかって、ようやく上下巻を改訂できた、いやちょっと怪しいぞ、という体たらく。  しかし、それなりに手を入れた。文章の乱れ、イメージの混乱、強引過ぎる描写など、かなりの量を変更することができている。だから、改めて送りだそうと思うのである。  思えば、「魔法物語」が私のところに来てくれたのは、ただ私にとっての幸福なのだ。私は作者として、この物語を好きなように出来る。今の私にとって、それは十分なだけ幸福な話だ。だからもう、誰にも読んでもらわなくて結構なのだ。再発表して、つまらん毀誉褒貶につき合う必要などあるまい。  だがしかし、この物語を読むことが、どこかの誰かにとっての幸福である、ということもまた、あり得るだろうと思う。それくらいの力は作品にあると思う。そうして、読まれることの中に、物語の幸福というのはあるはず。  だったら、誰にでも読めるような状況だけは作っておこう、と思うのだ。それが、私のところに来てくれたこの物語に対する私の責任だから。  それから、見知らぬ読者に対する責任でもある。  出版というシステムには、いろんな問題がある。私のところに来てくれた物語が、あまり知られることなく忘れられてゆくのも、もちろん私自身の力不足も認めるけれど、出版のシステムとの折り合いという問題だってあったはずだと思うのだ。  だが、オンデマンドで誰でも読めるようにしてやれば、そういう問題はとりあえず、ない。もちろん露出の問題や知ってもらう機会の問題など、あれこれあるのは分かっている。が、本当に読まれるべき読者なら、そんなハードルは楽々越えてくれるのではないか。本当に力のある物語だというなら、どうにかして、いずれ読まれるべき人には読まれることになるのではないか。いや、私がこういう作業をしていることだって、物語に導かれたものなのかもしれない。  私は力不足で、ここまでしかしてやれなかった。  けれどなんとかスタートラインには立たせてやれたはずだ。あとは、トーフェの物語よ、自力で進んでゆけ。そんな感じだ。  かなうならば、その物語によって幸福を得られる読者のところにたどり着いてくれ。

 さて、この文を読んでいるあなたが、この物語によって選ばれる読者かどうかは保証できない。  だから「読んでください」とは言わない。内容とか、細かい説明もしない。  こいつは、なにかのきっかけが働いたら出会ってしまう幸福の種みたいなもの。手に入れるのは簡単だけれど、あなたのところで芽吹くかどうかは分からない。  予感が働いたら、どうぞ。  作者はただ、どうぞ、どこかの誰かを幸せにしてくれますように、と送り出す。

 と、ここで終わりにしておくべきなのだけれど、蛇足を少々。  私にとって幸福の種たる物語は『黒い風のトーフェ』の一作のみ。ところが、実はその後にもいろんなシリーズ作品が作られ、書かれている。とりわけ『青い光のルクセ』というのはトーフェの物語の正当な続きで、トーフェの物語では足りないと感じた人のために存在していると言っていい。人によっては、そちらが好きということもあるようだ。というわけで、同時に販売することにした。  ルクセの物語は、トーフェの物語が「問いかけ」であるとしたら、作者なりに「答え」ようとした作品である。けれど答えきれずに、以後も関連作品を書くことになってしまうわけだが……。  ともかく、もしもトーフェの物語を読んで、それが大切な作品になったとして、その問いかけにあなた自身が答えるというのなら、以後の作品を読む必要はありません。  いや、ただ面白がってもらえれば、それでいいんですけれど。作者は作者なりに、面白くしようとはしておりますのでね。

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