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『ひゃくぶんのひゃく』のこと

 二〇一一年は東日本大震災のあった年、ということになるのだろう。個人的にもあれこれ災厄のある年だった。  そんな年の始まりに、なにをどう思ったのか「ショートショートを書こう」と思ったのだ。たぶん。今なら書けるという感触と、遠からず書けなくなる、という危機感が背中を押した決断である。  で、どうせなら限界近いところまでやろうと考えたのだ。小説家を名乗ってはいるが商業的にはなんにも活動していないようなもので、支障をきたす締め切りなどないのだから、好き勝手にやればいい。  当時、要介護の父親がまだ生きており、デイケアなどにも通っていたから多少の時間がある。無理がきく。そこで毎日一作、という目標を掲げた。たしか眉村卓氏の日替わりショートショートは知られていた時期で、自分にだってできるだろう、と踏んだのかもしれない。とはいえずっと自宅にいるわけではないから、書けない日もあるだろう。簡単にギブアップしたらみっともない。ということで、土日は休むことにした。週に五作のショートショートを書けることになる。  で、せっかくだから毎日公開してゆこう、と考えた。ただ本数をためてゆくのでは面白くない。パブーとかいうネット公開するのにちょうど良いサービスも始まっている。では、と曜日ごとに更新するサービスを五つ作った。それぞれが毎週更新される雑誌みたいなものである。雑誌なので過去作は消してゆく。一応掲示期間を二週間として、つまり二作ずつ読めるようにした。  そうして、頑張って書き始めたのだった。  その評判は、というと、ほとんどなかった。  最初のうちこそ少しは話題にしてくれる場面もあったものの、一月もすればなにも聞こえてこなくなった。  やがて大震災の日を迎える。世の中はショートショートどころではない騒ぎだ。が、それでもまだ私はやめなかった。大震災は、たしかにひどい状況をもたらした。世の中には、こんなものを見ていたら小説なんて書いていられない、などという声があふれた。そのことが、私にはむしろ不思議だった。フィクションというやつは、この地震の状況よりよほどひどい状況を描きうるもので、描いてきたではないか、と。いざ現実にひどい状況を見たら書けなくなった、などというのは、自身が信じてきたなにか大切なものへの裏切りではないのか。少なくとも私の身の上に起きていることは、まだまだ最悪というほどではなかった。こんな状況で「私は最悪です」などと言えるものか、と。日常を続けてゆこう、としたのだ。  大震災とは別のところで、家族内もややこしい時期だった。要介護の父は容態が悪くなり、入院。胃ろうの手術が必要で、これなしに回復はない、と言われるような時期。震災に前後して手術を受けさせた。が、これがかえって悪かったのか、はたまた震災の影響(停電など)などもあったのか、ほどなく死亡。葬儀だなんだとあわただしい時期である。この時期には、父方母方、それぞれひとりずつ、叔母も亡くなっている。  だが、もちろん私は書き続けた。鬼気迫る、とかなんとか形容されそうなシチュエーションである。が、そんな気配はなかったはずだ。大震災のことさえ最悪ではないと考えている私が、身内の不幸には嘆き悲しむというのはあまりにみっともない。そういうのもまた、いわば想定内の出来事として織り込み済みだったのだ。あれこれ忙しくはなったけれど。  さて、肝心のショートショートの出来だが、実はけっこう手応えがあった。何本かに一本は、「なかなかの出来」と自賛できる作品になった。  もっとも、相変わらず評判は聞こえてこなかった。そこで、二十週間、百作をもって終わることにした。さすがにそこまで書くと似たような話が増えてくる。あえてそういうのを目指してもいいが、感覚的には自分という鉱脈を掘り尽くしたような気分になっていた。予告し、更新を停止し、公開も終了した。  ただし家庭内の嵐は終わっていなかった。ショートショートを終えてからも、なんやかやと落ち着かない日々を過ごし、年の最後を前に、以後の生活を一変させるような出来事も起こり、今にいたっている。  いや、だから……。  あの時に書いておいて良かった、と思えた。  強引なペースで書いた作品たちであり、だからところどころに行き届かない面もあった、と自覚もしていた。すぐに公開する気持ちになれなかったのはそういうわけだ。  だが五年過ぎて、さすがにちゃんと作品に向き合っておこうという気になった。少しだが作品に手を入れて、ちょっとはマシになったろう、と自負した。  そこで、オンデマンド本のひとつとして発行することにしたのである。  印刷、製本してから読み直した過去の作品たちは、驚くほど面白かった。他人がどう読むかは、また少し難しい条件が関わってくるのだが、作者自身が読んでみると、そこには圧倒的なまでに自分がいた。ハイペースで書いたことで、自分という存在、思想、嗜好などが隠しきれなくなっている。それを表現するテクニックも、可能な限りそそぎ込んでいる。しかも五年たって、いくぶん冷静にも見れるようになったが、ほどほどに恥ずかしくない。  予想以上だった。臆面もなく「史上最高のショートショート集である」と言いたくなるほどに。  全部が全部傑作である、というわけではない。良い作品だけ残して、レベルの下がるものは排除しようか、と考えぬでもなかった。が、おそらくショートショート集というまとまりで考えてみたら、ほどほどの作品も含まれているべきなのではなかろうか。それに、他人に見せたら作者とは違う感想がかえってくることだってありうる。実際とある友人に読んでもらったら、作者はほどほどの出来だと思っているある作品に、考え得る最上級の賛辞をもらったりもしたのである。  ならば、下手な編集作業はせずに、そのままを送りだそうという気持ちになった。問題は、百作もあるのを一冊にまとめたりしたもので、字が小さくて読みにくいこと。作品が多いので読むのはけっこう大変かもしれない。  しかしながら、それはもういい、のかもしれない。  読みやすくして読んでもらう、という本では、たぶんないのだ。そこにあって、読むことができる、というただそのことを貴重だと、思ってくれる読者はきっと、少しだがいる。ならば、読めるようにしておく、というのが作者の最低限の仕事だ。  もしかしたら、あなたにとって生涯の友となるような作品が含まれている、かもしれない。

 そうあって欲しいと願っているし、可能性はあると思うのだ。

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