遠い昔の想い出『SFカーニバル』のこと
- Hajime Saito
- 2020年3月28日
- 読了時間: 5分
先日、ひょんなことから大昔の想い出であるところの『SFカーニバル』が話題になった。フレドリック・ブラウンにそういう本があったはずだが、そっちじゃない。およそ40年ばかりの大昔、開催されたSF関連のイベントのことである。
話した相手は、私なんぞよりよほどSFファンをディープにやってた友人で、であるから当然、このレアな催しのこと自体は知っていたろうと思っていたのだ。が、「知らない」という。即座にネット検索をかけてみても、出た記事は事実上一件のみ。しかも古いファンジンからの転載というもの。
へえ、と思う。が、まあ「そんなもんか」とも思う。
たぶんあれ、大失敗だったもんなあ、と。
とはいうものの、実はこのイベントは、私が生まれて初めて参加したSFのコンベンション(?)で、この参加は生涯覚えておきたいような(いやけっこう忘れちまったけど)大事な経験なのだ。
誰も知らないような状態だというのなら、おぼろな記憶を適当にでっちあげで埋めて、「ぎゃあうらやましい」などと叫ぶような同好同世代の人を今更うらやましがらせてやってもよかろう。
と、いうのが今回の記事の主旨である。
さて……。
時は1981年の7月であるらしい。群馬県でも最も有名なる温泉地、草津において、あるイベントが企画される。
いや、事情は知らない。が、草津というのはたぶん夏場は比較的客が少ないのだろう。当時はそうだったのだろう。で、なにかしらイベントをして集客を図るところがあり、そういうものの一環だったのだろうと想像する。あの頃、SFってのはけっこう元気があった。スターウォーズだのなんだのがあったしね。だからまあ、著名なSF作家を集めて、イベントをぶちかまして、客を集めようとしたのだ。
ということで、たぶん主催したのは宿泊会場となったホテルであろう。今でも存在はしてるみたいだが、大東舘という。
しかし、いきなり旅館が企画するのは無謀だったんじゃあるまいか。というのも、このイベント、一泊二日とかじゃないのだ。たしか一週間ぶっ通しで、毎日昼の企画と夜の企画をやる、というもの。昼はいろんな作家さんとか来て講演して、古いSF映画の上映なんかもやって、と体裁は取り繕っているものの、正直、SF大会のような多彩な企画群とは比べるべくもない代物。ま、そりゃそうだよな。
で、夜は宴会。こっちも古いフィルム見せたりする。
まあ、ホテルの企画で参加費は高くて学生とかにはハードル高い上に、期待できそうでもなかったのだろう。全部参加なんて夢物語だから、好きな作家の講演を聞きに行くってとこ。上映してる映画も毎日同じだったりしたんじゃあるまいか。
しかるに当然、参加者ほんの少し。
しかし、それこそがこのイベントのメリットだったのだ。
つまり、あこがれの作家さんたちに近づくチャンスだったのである。
私はこのイベントに友人と参加したのだが、他に一般人とおぼしきは二人くらいだったように思う。それに比べて、作家の側の顔ぶれは、まずメインのホストであるところの筒井康隆氏。それから矢野徹氏。それから荒巻義雄氏。と、あとは自信がないのだが、山田正紀氏がいたような気がする。それからえーと……。もっといたようにも思うのだが、記憶が混乱しているので、このくらいでいいや。
夕食の膳に、たしか天麩羅と西瓜が出た。SFだからな、と思ったことを覚えている。それが終わると宴会なのだ。貧乏学生だった私はオプション価格のその宴会には臆したのだが、友人が参加するというので参加したのだった。
まあ、そいつは古い『キングコング』を上映して、誰だったかがアテレコする、というものだった。そこそこ面白かったはずだが、もはや記憶にない。だが問題はそこではない。その後があったのである。つまり企画とは別の、作家さんたちのプライベートな酒席だ。そこに、一般人である我々も誘われたのである。
正直、夢のような時間だった。
この前年、実は私は『奇想天外』という雑誌の新人賞で、最終選考に残っていた。だからなにかしら覚えてもらっているかもしれないというスケベ心があったはずだ。だが、そこのところはあいまいで、なにより強く主張できるほどの心臓を持ち合わせていなかったのだ。
が、そんなことは関係なかった。
あこがれの作家さんたちが、『SF作家オモロ大放談』ばりのトークをしている現場に居合わせられたのだから。
筒井さんが、「映像の上映をできる部屋が欲しい」と言い、「作ったらいいじゃないか」と矢野さんが突っ込み、「しかし土地がない」「買えばいい」「ちょうどいい場所は隣の敷地だ」「買収しろ」「いや、じいさんが住んでる」「ならば死んで貰ったらどうだ」的な冗談まじりのやりとりに目を回したのだ。
だからどう、ということはない。
しかし、その空間こそはあこがれだった。
『奇想天外』に連載されていた「あなたもSF作家になれる わけではない」が、目標だったのだ。
けれど、よくよく考えてみたら、もはやそのあこがれの空間は、今更自分が参加できる状況にはなかったのだと、この夜の経験が芯になって後々分かってゆくきっかになったのかもしれない。つまり、もう遅かったのだ。
だが、この夜を共有した友人を含んだAんIというグループを、やがて私は作ることになる。その空間こそが、自分にとっての目標の場所になった。
さて、夢のような夜が明けて、次の日にもイベントは続く。けれどもう、参加は出来ない。ただ、昨夜のこともあって、作家さんたちとのティータイムになにげなく加わることができた。
なにがどういう流れだったか、名刺をくれた編集さんまでいたのだった。
もっとも、その出版社(新潮社だったはずだ)とおつきあいすることは、後にプロ作家になってからも一度もなかったのだ。それもまた、夢のうちの出来事だったというかもしれない。
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