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たぶん吉川英治文庫賞は『ぶたぶた』を選ぶべきである

  • 執筆者の写真: Hajime Saito
    Hajime Saito
  • 2020年1月31日
  • 読了時間: 11分

 そんな賞があるということさえ知らなかったが、古くから読んできた『ぶたぶた』シリーズがノミネートされたという。  ほう、と思う。どんな予選がなされたかは知るよしもないが、そこに目をつけるとはなかなかの慧眼ではないか。では、どんな作品がこれまで受賞してきたのか、今回のノミネート作品にどんなものがあるのか、とちょっと気になったりする。  ふむふむ。  なるほど。今回で五回目の新しい賞であり、この一年に新しい文庫が発行された、全部で五作以上あるシリーズを対象とする、らしい。ノミネート作には、おお、あんなのやこんなの、あんなものさえ選ばれているではないか。いわば錚々たる作品群。この中に入って、トップになって選び出されるとなると、これは大変に難しいだろう、とすぐに分かる。  『ぶたぶた』の作者の矢崎さんとは、同人誌をやっていた頃の創作仲間で、その同人誌の終刊号には『ぶたぶた』のショートショートを書き下ろしてもらってもいる。シリーズのきっかけになった『初恋』という作品は、同人誌を作るきっかけとなったショートショートの賞を主催した星新一さんの追悼特集として書かれたもの。浅くはない縁がある(と私は思ってるわけだが)ので、できれば受賞してもらいたいな、とは思うものの、半ば無理だろう、とはいえ注目されるのは良いことだ、と思ったわけだ。  だが……。  考えてみると、いや、考えてみるほどに、『ぶたぶた』こそ受賞に相応しいシリーズなのではないか、と思えてくるのである。  今回ノミネートされた全十五シリーズをすべて読んでいるわけではないが、読まずとも断言できるくらいに、『ぶたぶた』こそ受賞するべきだ、という気持ちになってきたのだ。  それは、シリーズを顕彰するという賞の性格と、『ぶたぶた』シリーズのたぐいまれなる個性とが、あまりにベストマッチだからなのである。  では、『ぶたぶた』のなにが優れているのか……。  と、こう来ると話は難しくなる。なにしろノミネート作にはベテランの作品も多い。人気シリーズで、新刊が出れば小さな書店でも平積みされるようなものも含まれている。実のところ、優れているかどうか、という競争は微妙なさじ加減で変わってしまうわけで、この中で優れているかどうかで選ぶのは難しすぎるのだ。ある意味、どれもこれも優れてはいるのである。  だが、それでも『ぶたぶた』は、頭一つ、いや二つ半くらい飛び抜けて、今回の賞には相応しいと思えるのだ。ただ作品が優れている、だけではない、私がこの賞に相応しいと考える素晴らしい個性をきちんと評価されるならば、である。  では、どんな個性なのか。  という話を始める前に、まず『ぶたぶた』について少し語っておく必要があるだろう。  さて……。  前述の通り、このシリーズのスタートはショートショートであった。作者の矢崎存美さんは、矢崎麗夜名義で書いた『殺人テレホンショッピング』により、かつて講談社で行われていた星新一ショートショートコンテストで優秀賞を受賞。その縁で星新一さんが亡くなった時に行われた追悼特集に『初恋』を発表している。当時は、プロとセミプロの中間くらいだったような気がする。コンテストの受賞者が集って作った同人グループ『AんI』のメンバーで、仲間内でも、その発想には驚かされることが多かった。  さて『初恋』だが、と、内容を説明してしまうのも興ざめだ。この時点では矢崎作品の中ではとりたてて特別ではなかったはずだが、矢崎さんの個性が横溢した、一読、印象に残る作品であった、ということは言えるだろう。なにしろ、ショートショート一作を見た編集さんが、すべてこの設定で一冊書きませんか、と提案するくらいにはインパクトがあったわけだ。  そうして、他にも短編をいくつか書き上げて、単行本『ぶたぶた』が発行されることになる。  傑作、だった。とぼけたユーモアと優しさのある、読み心地の良い一冊。爆発的に売れたわけではないが、いろんな作家さんたちが好きと公言するくらいに印象を残した。  ただ、最初の時点では、物語の面白さはともかく、シリーズとしての個性については手探りであったと思う。次作の『刑事ぶたぶた』で、シリーズ全体の特徴である重要ポイントが提示されているのだが、まだその意味もさだかではなかったろうと予想できる。  ただし、面白くはあった。面白いからもっと書いて欲しいという話になる。  と、ここまで書いても、『ぶたぶた』がどういう話か書いていないと気づく。  もったいぶるわけではない。単純なのだ。少なくとも表面的には。  要するに、山崎ぶたぶたなる名前の、ぶたのぬいぐるみが登場する。そのぬいぐるみは生きており、小さいながらなんでもそつなくこなす。ぶたぶたに出会った人たちは、誰もが抱えているような問題に悩んでいるのだが、ぶたぶたとの出会いによって、小さくとも確かにハードルを越えてゆく。と、まとめてしまえばそんな話たちだ。  偉そうに評するならば、日常性の中に生きたぬいぐるみという異分子が入り込み、日常が異化されることで問題解決がもたらされる物語群、というところか。  ひとつひとつのお話としては、だ。多少の当たり外れがあったりしつつも、安定的に面白い、かといって激しく動揺させられたりしない、比較的おとなしいシリーズ、ということになるだろう。  それだけなら、まあ、他の錚々たる作品群の中で、これこそが抜きん出ている、と主張する必要はない、かもしれない。  だが……。  本当の特徴は、実は個々の作品である以上に、シリーズ全体にある、と私は言いたいのである。それはシリーズなればこそでありかつ、他に類例のない個性であり、しかも二十年以上にわたって積み上げられてきた、簡単にはまねのできない長所なのだ。  それは、山崎ぶたぶたというキャラクターが、きわめて強烈な個性を表面に出しながら、それでいて不特定である、という点である。どのぶたぶたもまぎれもなくぶたぶたであり、なのにどのぶたぶたも、それぞれに別の存在なのだ。  少々分かりにくいかもしれない(もちろん、読者であるならば当然のポイントなのだが)。例えるなら、手塚治虫の作品群におけるアセチレン・ランプやハム・エッグのようなもので、作品内に出ればすぐにキャラクターの見分けがつくけれど、それぞれのキャラクターの素性やら立場やらは別、という、いわゆるスターシステム。ただし、手塚キャラたちが、なんらかの役を演じている、というのとは違う。ぶたぶたは、いつだってどこだってぶたぶたなのだ。キャラにぶれがない。ただ、彼が置かれた境遇(とりわけ職業)だけがかなり異なるのである。  無理に説明するなら、ぶたぶたという個人(?)が、さまざまな可能性を生きて、その多くの選択肢、異なる可能性を実現することで生み出されたパラレルワールドを、ひとつひとつの作品として結実させたもの。これがぶたぶたシリーズなのである。  そうして、実はあまり意識されていないと思うのだが、ぶたぶたは決して主人公ではない、のだ。この点、ハム・エッグみたいなもので、個性的な脇役、なのである。あまりに個性が強くて、物語も彼を中心に回ることが多いから、脇役感は薄いのだけれど、実のところ脇役以上に出しゃばることが(ほとんど)ないのである。  その結果、ぶたぶたはさまざまなドラマの中に入り込んでくる。  物語というのは、まず中心的な屈託があって、それが解消されたり、あるいはされないことをもってテーマにしたりする構造を持つのが基本だ。ということは、その屈託に近い人物が主人公となり、その経緯を描く、というのが基本なのである。ぶたぶたシリーズも同じだ。けれど、ぶたぶたの持つ最も大きい屈託、つまり自分がぬいぐるみである、という大問題について、作品は切り込んでゆかない。おそらく、それは無粋だから。そのかわり、主人公に据えられた人物の抱いている、つまり誰もが抱くかもしれないような屈託が扱われる。親子の問題だったり仕事の問題だったり、共感されやすい、けれどなかなか解消されはしない問題が、ていねいに取り扱われる。  こんなやり口が、他にあるだろうか?  数年前、この点に気づいた時、私は思わず叫んだものだ。 「これだったら、すべての物語を、ぶたぶたとして描くことができる」  と。  すなわち、あらゆる物語の中にぶたぶたが参加できるのだ。どんな物語でも、なんらかの主人公がいて、なんらかの屈託と向き合っている。そのすぐ近くに、ぶたぶたを置くことができるのである。  つまり、宮本武蔵だろうと三国志だろうと、必要とあらばぶたぶた化できる、ということなのである(もちろん、ぶたぶたらしくない、という理由でやらないだろうが)。  かわいらしくて、優しくて、なんといってもおいしそう、という理由でこのシリーズは読まれてきたと思う。その点において、新作はいつだってちゃんと期待に応えてきた(ということだけでも相当に高く評価すべきだが)。けれど、いくつも読むことで、以上のようなきわめて特徴的なところが見えてもくるのだ。しかも、とてもとてもさりげなく。これはつまり、ある種の奇跡なのではあるまいか。  と、まあ。この点をもってぶたぶたシリーズが、他の優れた作品群から、頭一つ抜け出している、と考えるのはひいき目に過ぎるだろうか?  おっと、頭二つ半抜きん出ているのではなかったかな、と。  そう。検討すべきは作品だけではない。それは、吉川英治文庫賞という賞について、である。  まあ、これについては想像の域を出ないのだが……。  こういう時期に、あえてシリーズものを顕彰しようという賞を新設する意味について考えてみたのである。  それはもちろん、出版文化の振興のため、ということになる。  これはぶっちゃけ、本が売れるようにしたい、ということだ。本屋大賞とか、比較的新参の賞がよく取り沙汰されるのだって、つまるところ本を売れるようにするためだ。それが効果的だったということだ。だいたい、本が売れなかったら、出版文化だのなんだと言ってられない。とにもかくにも本を売りたいのである。  だったら、一冊だけ取り上げて売るより、シリーズがまとめて売れる方がいい。シリーズものというのは、ある意味、長く出版界を支えてきた作品群、とも言える。スポットライトを当てて、作者にも報いてもらい、出版も潤う。ああ、なんて良い賞だろう。  今回ノミネートされているあの作品の、新刊が出るという時の大騒ぎを、書店に行くことのある人なら覚えているだろう。新刊にあわせて既刊も棚に並べ、ちょっと必死過ぎるんじゃないか、という感触もあったのを、気にしたのは私だけだろうか。なにかしら、そういうお祭りがしたい、のだ。  そういうスタンスで作品を選ぶなら、どうすればいいだろう。  私なら、間違いなくぶたぶたを選ぶ。  なんといっても売りやすい。  まず、既刊が多い。そのくせ、前述した特徴によってほとんど順番にこだわらず読める。 どこをどう売っても大丈夫、なのだ。だから、在庫すべき巻は少なくてもかまわない。  さらに一冊あたりが薄くて安い。内容的にも、若い子から年寄りまで楽しめる。ぬいぐるみが生きている、という点だけがちょっとしたハードルにはなるが、それはごく最初の段階でふるいがかけられる。そこが許せない人は読まなくていいのだ。  もし私が売るなら、あえて複数の書店の在庫を変えてしまう。もっと読みたいなら同じ街の別の書店に足を運びましょう、とやる。書店の回遊効果と読者のお宝探しイベントが発生するだろう。  出版社にしても、一気に全部を大量重版かけるのはリスキーだろう。だが、全国にさまざまな作品を薄くばらまく、という戦略が可能だ。そうすることで、認知度を上げつつリスクを低くできる。新たにひとり熱心な読者を得れば、その人は徐々に他の作品に手を広げてゆく。この売り方、たぶん考えられる限りもっとも優れたものとなる。  さらに、作品の個性で述べた特徴を生かせば、多くの作家の参加するトリビュートアンソロジーなども作りやすいはずだ。  こんな売り方、他のシリーズで出来るだろうか?  出来そうにない。これで、さらに頭一つ他のシリーズに抜きん出ることができたはずである。  あと頭半分。  それは、作品そのものの認知度だ。おそらく、読者満足度がとても高いのに比べて、ぶたぶたの認知度はそれほど高くない。すでにベストセラーになっている作品と比べてしまえば悲しいほどに。  だが、それはきっと良い点である。つまり、売れ行きと作品がつり合っていないだけなのだ。きっかけさえあれば、この作品はきっと売れると思う。そうなれば、すでに売れている作品が売れ行きを上乗せするより、より大きな販売効果が生じるだろう。伸び代が大きいのだ。  賞、というのは、そういうきっかけを作るためにある、と言っても過言ではない。それこそがアイデンティティであり存在意義だ。  授賞によってぶたぶたが売れるならば、それはこれまであまり知られていなかった(であろう)賞そのものの価値を上げるだろう。  いうなれば、ぶたぶたを選ぶということは、吉川英治文庫賞にとってのチャンスなのである。知らなかった面白い本を教えてくれる賞、というのはポイント高いはずだ。  さあ……。  とはいえもちろん、これだけの理由があったとしても、ぶたぶたが選ばれる、とは限らない。  なにかを選ぶ理由というのは、千差万別であり、別の角度で見れば別の答えが出てくるのも当然なのだ。たとえば、ノミネートされたのは新刊の発行によるのだから、その新刊一冊で比べる、ということもありうるし、そうなったらぶたぶたはちょっと弱いとも思う。大長編が完結したので、このタイミングで賞を、なんてケースもあるだろうし、功労賞を選ぶ、という見識だってあってしかるべきだ。  しかし少なくとも、ぶたぶたにだって、選ばれる理由も資格もある。ここで書いたように、明確で重要なやつがある。  そう考えて、三月の発表を楽しみに待とうではないか。

 さあ、どう出る。選考委員さんよ

 
 
 

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