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『鬼ノ在処』のこと

 コンピュータとネットの時代を前にして、それでも手書きで小説を書く、というのは決して間違ってはいない。それは、執筆ツールには思索のためのツールという側面があるからで、そこが変われば書くものが変わってしまう、ということが大いにあり得るからだ。  だから、執筆の方法論が固まった人は(書ける、もしくは書けてきたという)状況に拘泥することになる。  だが一方、だからこそ新しい執筆ツールを探す、というスタンスだってあり得る。あるいはまた、コンピュータやネットという環境こそが、作家にとって必須の執筆ツールになることだってある。そうして、そういう作家からしてみれば、紙の本という出力形態にも疑問を感じないではいられないのだ。  昔、電子書籍、という視野が生まれた。おっちょこちょいが、「これからは紙の本なんて古い。すぐにすたれてしまいます」とか言い出した。正直、誰にもどうなるか分かってなどいなかった。けれど、なんらかの活路を求める者や、なんらかの保険をかけたい者や、新しい技術そのものに魅力を感じる者もあったから、そういう人たちは試してみたくなったのである。  こうして、e-novelsという組織が生まれた(のだろうと思う)。作家たちが集まって、試行錯誤しながら電子出版という荒海に乗り出したのである。  が、うまくはゆかなかった。  私自身は、この集まりからは距離をおいていた。状況を鑑みるに、うまくゆくはずがあるまい、と考えていたからである。いや、誘ってももらえなかったけれど。  しかし、その最初期の活動形態の、ほぼ最後に近い段階になってふいに参加することになった。  成功の可能性に賭けた、わけではなかった。  失敗してもかまわなかったのだ。  なぜなら、この「鬼ノ在処」を思いついてしまったからである。この物語を、どうしても書いておかねばならない、と考えてしまったからである。  プロ作家という存在は、基本、発注を受けて仕事を、執筆を開始する。ゆえに、あまり勝手なものは書けない。商品としての作品を、どうあっても作り出さねばならない。もしも書きたいなにか(テーマだのモチーフだのアイデアだの)があるなら、それを編集者なるバイヤーに対してプレゼンし、売り込まなければならない。今時、よほどの売れっ子でもなければ「なんでもいいから書いてください」などとは言われないものだし、もしそう言われるのだとしたら、「わしゃあんたの名前のついてるもんが欲しいだけじゃけえ、中身はどうでもいいんじゃ」と言われているようなもので、結局バカにされている。  もちろん、勝手に完成させて売り込む、という方法だってあるが、これは精神衛生上きわめてよろしくない。なにより、書き続けてゆくための情熱みたいなものが簡単に失われてしまうし、作品もそういう歪みを抱えることになりかねない。  執筆は、孤独で面倒でたいていすごく時間のかかるものなのである。だから、その作業を支える精神的支柱が必要だ。  私には書きたい作品があった。そうして、そのためになんらかの目標が必要だった。  e-novelsに参加したのは、そういうことだ。  ここに参加すれば、少なくとも何人かは、書き上げた原稿を読んでくれるはずだった。そうして、それを売るための体制も作れるはずだった。  つまり私は、「鬼ノ在処」執筆のために、さまざまな状況を整えようとしたのである。ただ執筆のために、だ。

 さて、では「鬼ノ在処」とはいかなる作品であるのだろうか。  今回、この作品をオンデマンド出版するにあたって書いた「あとがき」において私は、つまらない小説ではないものを書くために面白くない小説という道を選んだ、みたいなことを記した。バカみたいな韜晦である。が、半ば本気である。そもそも「面白い」とはどういうことだろう。たとえば明石家さんまという人がいて、すごく面白い人みたいに扱われている。そう、面白くない、とは言わない。だが、私にはその面白さは、基本的にほとんど同じものであるように思えてならない。いつだってすごく面白い、けれど「同じように」面白いのだ。  翻って、各種ジャンル小説を考えてみると、そこにある「面白さ」は、やはり「同じように」面白い道を目指しているようだ。そうして私には、同じように面白いものを執筆するのが、どうして私であるべきなのか、が分からない。面白いことそのものがつまらない、というスタンスに、いつしか私は立っていたのだ。  もうひとつ。  小説という狭い話ではなく、もうちょっと世間一般を考えてみた時に気になることがあった。それは、オカルトと呼ばれるような物の見方、思考のありようだ。それが私には、発生した現象を記号化しただけのものを、絶対的真理であるかのように扱う気持ち悪さをもたらすのである。  もっと言うなら、「面白さ」と「オカルト」は同質なのではあるまいか、と感じられるのだ。  それを解体したいと考えた。  できる、と思えた。  だから、書かねばならなかった。

 完成させて、世に送り出し、だが予想通りたいした反響も得られずにここまできた。多少あがいてみたりもしたが、効果はなかった。  e-novelsの事実上の解散を前に、私はこの作品を引き上げ、非公開にした。  けれど、この作品が達成したなにかは今でも価値を失っていない、と私には思える。いっそ、日本人の大半にも読んでもらいたい、というくらいに(ただし、読んでもらったとしてもほとんどの人には面白くない、だろうが)。  だから、改めて読めるような形(オンデマンド本)にしておこうと考えたのだ。  私は九割がた社会を見限っているが、すべて絶望しているわけではない、ということなのだろう。  もっとも、社会が私にとって好ましい方向に進んでいるとか、そういう可能性がある、とかいうわけではない。むしろ逆だ。それでも、私が感じている閉塞感や危機感について、なんらかの答えを求めている人がいて、これを読むことでいくばくかの救いを得る、ということだってあるのかもしれない。ならば、読めるようにする作業にも少しは価値があるだろう。そういうことだ。

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