top of page

余裕があるやつだけ守れ

  • 執筆者の写真: Hajime Saito
    Hajime Saito
  • 2016年8月18日
  • 読了時間: 3分

 ソフトの違法コピーをたしなめたら逆ギレされた、という話を目にして暗澹たる気持ちになる。  つまり「おまえは金があるから違法コピーとか言うけど、貧乏人にはそんな余裕なんてないんだ」と反論されてすごすご引っ込んだらしいのだ。  正直、どっちもどっちである。  で、世の中の大半がそのどっちもどっちに含まれてしまっているらしい、と気づかされてしまう。ここで嘆息することになる。  それは、「ルール」ってやつの取り扱いに関する考え方の問題だ。つまり、この登場人物は、「漠然としたイメージは持ってるけれどひとまず理由の如何を問わずルールは守る」人たちと、「ルールなんてものは状況次第で破ってもいいものだと自分の都合でルールを捉える」人たちだ。  前者は、自分がどのようにルールに拘束されているか分かっていない場合が多いように思える。だから、自覚的にルールを破る相手には対処できない。こういう人だと、時にとんでもないルールがあったとしても受け入れてしまうことになりそうだ。  後者は、実はルールというもの自体を明確に認識していないのだろう。ある種の経験則と、状況対応能力で日々を処理しているからだ。たとえばルール違反(違法性)を指摘された時に、問題とするべきはルールそのものではなくて、どう対処すれば相手を言いくるめられるか、という方法である。その場で「負け」ないように、脊髄反射的に応じているだけなのだ。貧乏だから、などという話を持ち出すところが典型的だ。この論旨は、実は「ならば貧乏人にはルールを適用しなくてかまわないのだな?」というきわめて危険な綱渡りをしている。そのくせ「貧乏」というのは基本的ルールのひとつであるところの金銭の有無に関するステータスなのだから、そもそも自己矛盾しているのである。  結局、どちらも論理的には整合していない。  そうしておそらく、そういう人たちが社会の大半を占めているのだろう、と感じるのである。  つまり、社会は論理的に整合していない。  従って、生きやすい確かな道を論理的に見いだすことはできないのである。

 いや、実は社会の運営が「ルールの作成(と守らせる方法)」でなされるしかない、という認識がたぶん間違っているのだ。  では、なにか別の方法があるだろうか。  たぶんあるはずだが、今のところ候補すら分からない状況である。  ただ、ルールというのは実は個人の行動を制約するものではなく、行動を選択する時の指標にすぎないのだ、という立場から考えれば、なにか出てきそうに思う。たとえば、高度な人工知能が相互に情報交換しながら個人にアドバイスをするような社会が作られたとしたら、社会全体に共通するようなルールは必要ではなく、ひとつの行いに関わる全員がどうすることが好ましいのかの指標を得ることが可能になるだろう。  つまり「赤信号の時は道路を横断してはいけない」というのがルールで、赤信号がルールによって導かれた行動の指標である。だが、自動車が来ていないことが客観的に分かる状況であるなら、信号云々は関係なしに道路を渡っても良い。この「客観的に」をアドバイスシステムが保証してくれる、というわけだ。  まあ、これが実現したら怖い、と感じる向きもあるだろう。アドバイスをどこまで信用したら良いのか、という問題があるからだ。  古くさいSFなら、きっとなんらかの陰謀につながってしまうだろう。あるいはディストピアものだ。そういう先入観を、われわれはこれまでずっと送り続けてもきたのである。

 ところで、SFと言えばルールが厳しいディストピアものもたくさんあるような気がする。そういうルールをぶち壊すのは……。  そうか、貧乏人なのかな(苦笑)

最新記事

すべて表示
出版のことを考えてみる

出版について考えてみよう。  出版というビジネスは、なんだかひどくいびつで、一般の社会常識では誤解されることが多いように思う。そのため、ツイッターなどでもおかしな話が飛び出して、状況に乗ってしまっている人をいらつかせるのだ。 ...

 
 
 
本格ミステリ大賞2017への投票

本格ミステリ大賞の投票をするため、今年も候補作を購入して読むことにしたわけだ。  評論については、評論という枠組み自体に懐疑的なこともあり、そもそもそれを評価することなどできそうにないので最初から棄権するわけだが、小説の方は、なにしろ本格ミステリ作家クラブに入会するという...

 
 
 
正しいとか優れているとか

生きてゆく、というのは選択をし続けることである、と言ってもいいだろう。 とか言うと、「今日の晩ご飯どうしようかな」的な考えが起こってくるわけだが、まあ、それも選択であるのは間違いないのだが、ここで言ってるのはもっと小さい、原理的なところのお話である。...

 
 
 
特集
最新のお知らせ
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Twitter Basic Square

 斎藤肇のページ

 

 1960年生まれ

 元FSUIRI SYSOP

 

 

 

  • Twitter Clean

Wix.comを使って作成されました

bottom of page