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映画『ちはやふる』感想

 不思議な形で涙腺が刺激されて、泣けて仕方なかったのだが、もちろんそんな映画ではないのだ。  だが、ならばどんな映画だったというのだろう。

 原作はコミック版で、たいへんなヒット作である。百人一首の競技カルタの世界における、いわば変則的で恋愛模様もからめたスポ根作品である。スポ根といっても女性誌が発表舞台で主人公も女性だから、少年マンガのものとは違いもあるが、天才が主人公で強大なライバルがいて、友情努力勝利なのだ。  そうして原作は、多様な登場人物に細かく目配りして、うねりを伴って物語が進行し、緊張もあればゆるい笑いもありという極上のエンターティンメントとして結実している。  そんな原作を、あろうことか実写映画にするというのである。しかも広瀬すずという、とにかく見た目は確実に可愛いという微妙にCMタレントっぽい女性を主人公に据えるというのである。まあ、失敗してもしかたあるまい、と思う。思ったのだ。  が、それでも見ることにしたのは、競技かるたという世界の、あまりに短い時間のうちに勝敗が決まってゆくという独特の感覚が、どうあってもマンガでは説明的にしか描いてゆけないのであろうことを、劇場で予告編を見た時に感じ取ったからなのだ。スローモーションの中に刻み込まれた役者たちの微妙な表情の強さと、そこに流れる刹那の時間が、マンガには描ききれないものであることは確かであるし、にもかかわらず魅力的なものに感じられて仕方なかったからなのだ。  結果、望むものは手に入った。競技カルタの緊張感と、部活という枠組みがかもしだす未完成的ゆるさとを感じられたことは大きい。だが、それ以上の感覚(感動?)が、映画の中に結実していた。  はっきり言って、実写で描かれていたいろんなもの、とりわけキャラたちは、マンガとは別物だった。千早は千早ではなく、太一は太一ではない。他のわき役キャラたちもマンガとは別物である。だが、そこが良かった。千早は千早ではなく、なればこそ千早であった。太一は太一ではなく、だからこそ太一だった。つまり、物語の中で機能するキャラというのは、結局のところ実在の人間ではない。ゆえに、これをもって正しい、ということがない。だが、ひとつの物語の中でキャラという機能がある。物語を推進する大きな力としてキャラが働く。それはあやふやで、作者であっても完全にコントロールできない。受け取り手である読者ないし観客は、そのあやふやな情報におのれの感覚や経験によって肉付けした後に吸収してゆく。そのため、キャラはその輪郭をあやふやにし、二次創作などに使われたりもするわけだが、それはさておき、キャラ(に限らない)を描くにあたって媒体の特性が関わってくるのだ。つまり、マンガにはマンガのできることできないことがあり、映画には映画にできることできないことがある。  ならば、クロスオーバーするなら、その得意なことこそを生かすべきだし、しかしそれをすると、互いに異なるなにかを描き出すことになるはずだ。  マンガはマンガの得意な方法でキャラを作り出す。映画はそれとは異なる方法でキャラを描き出す。だから、おおむね同じ物語の中に投げ込まれた異なるスタンスで描かれた同じキャラ、という状況が発生するのだ。  当然、失敗しやすい。同じキャラのはずなのに別のキャラになってしまい、ちぐはぐになる。普通に起こることだろう。マンガはマンガ、映画は映画、それぞれにそれぞれの高みを目指す、なんてふうになればいい方で、互いに足を引っ張り合うことになりかねないからだ。  しかしである。それがこの「ちはやふる」では、予想以上にうまくいっていた、と私には思える。浮かんだ言葉は「相互補完」であった。足りない部分をうまく補い合って、物語をより深い、面白いものにしているのだ。  つまるところ、原作がすべてではない。原作が描き出そうとしていた物語のフレームに、微妙に異なる角度の要素を詰め込んで、多面的に、そもそも物語が持っているポテンシャルを引き上げてゆく操作。互いに呼応するように成し遂げてゆくなにか、なのだ。  いや、少し過剰にほめている気がするが……。

 思うのは、「そういうこともありうるのだな」ということである。今まで、メディアミックスなどというのは、商売上の話に過ぎず、あるコンテンツを絞り尽くしてゆくようなものばかり、だと思っていた。互いに高めあう、などというのは理念としてはうつくしいが、きわめて達成困難なものであることは明らかだった。  だが、そうでない場合だってある。私がより深く感銘を受けてしまったのは、その「可能性」を感じたから、なのかもしれない。  いや、ということは、映像化などという話が互いを高めあうようなシーンは、個々の作品ももちろんのことながら、それを受け取る読者、観客の状況にも大いに影響されるはずなのである。  ああ、ならば、今年このタイミングで映画が公開され、今年の私が見ることができたのは、私にとっての幸福に他ならない。  つまり、「見て良かった」。

 さて来年、さらなる続編が映画になるらしい。原作が終わっていないせいもあって、連続二本の「下の句」は物語が少しばたばたしてまとめきれなかったきらいがある。そこが一年でなんとかなる(原作が終わる、ということも含めて)とは思いがたいが、ひとまずは期待して待つことにする。  来年の段階での原作と来年の私とがかみ合って、うまく映画を捉えきれるといいが、と案じつつも、再び幸福に出会える可能性も小さくない、と信じてみよう。

 おっと、書き忘れていた。  広瀬すずは素晴らしかった。  特に白目むいて寝てるところが。

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