top of page

こわいはなしのはなし

 といってもホラー系統の話がしたいわけではない。いや、少し混ざるか。  しばらく考えていたのだが、「怖い話」をする者は、基本、相手をだまそうとしている、という前提でいいのではないか、と思うのだ。自覚してないケースも多々あることもおり込んで、「これが危ない」とか「これが怖い」とかいう話のほぼ全部を、詐欺みたいなものであることにしていいのではないだろうか。  ウケ狙いではない。かなり本気である。  間違ってもらっては困るのだが、「危ない」と言われているなにかしらが、「実際には危なくない」と言いたいわけではないのだ。放射能だって毒ガスだってノロウィルスだって、危なくない、というわけではあるまい。だが、自動車だって危ないし餅だって危ないし教師だって親だって危ないのである。  つまり、危険性というのは、それぞれの事象に対してどの程度の配慮を割くのかという問題として処理せねばならんわけだ。ベッドに寝転がってポテチを食べている時にアイガー北壁がどれほど危ないかを知っても意味はない。それよりは油だの姿勢だのの危険性の方がいくらかは切実なのである。  ところが、「危ない」と説く人は、いつだって決まって「これこそが危ない」と言う。他の危険性をすべて無視しているわけではないが、あたかも「もっとも危険」であるかのように説くのである。  なぜそんなことをするのか。  それは基本、「危ない」情報によって利益を得るためである。自覚がない場合もあるだろうが、「危ない」情報を広め、伝えることで利益を手に入れるのである。そこのところを詐欺的である、と言いたいのだ。  本を出したり、番組を作ったりする時にはもちろん金銭的利益が発生する。その他、有名になったりする形で利益が発生するケースもある。そのようにメディアを使わない場合でも、有益な情報を与える、という形でコミュニケーションすればステータス的利益が発生する場合もある。  そう、つまり「危ない」という情報は、有益であるとして扱われるのである。有益であるから他者に与えることで自己の評価をあげることができる。有益であればあるほどその評価は高くなる。しかも、いくら与えても自分の側に不利益は生じない(っぽい)。だから、自己の発する情報をより高く売り込もうとする圧力が当然のように発生するのである。  すなわち「私の情報は有益である。この危ない情報こそがもっとも配慮すべき重要情報なのである」という圧力が暗黙の内に働くのだ。結果、情報の重要度は混乱をきたすことになる。本当に危ない、今まさに対応すべき危険性がどれなのか分からなくなる。なぜなら、同じ土俵に立った時には、売り込みの上手なやつが勝ってしまうからだ。ここでの判断基準に、本当の意味での危険性の重要度は(各人の理性的判断を別とすれば)ほとんど反映されてこないのである。  かくして、「危ない」を説く者は、その上手さをもって多くの利益を受け取ることができるようになる。  かかる情勢において、自分の方こそがより重要度の高い情報である、ということを主張してもむなしいばかりだ。真に重要な情報を持つ者であれば、その重要さとは関係のないアピール力こそが大切なのだと気づけば、アピールすることそのものがいやになるだろう。  そうであると思ってしまえば、「怖い」という情報をばらまく者は、(自覚的かどうかは別としても)自己の利益のために行う者であるということになる。  細かい話は置いておくとして、詐欺とまではゆかなくても詐欺的な行為であるだろうと思う。少なくとも、発信側がどう考えているのかなど関係ない。いや、むしろ斟酌するべきではないのである。

 さて、ならばどうしたらいいのだろう。  残念ながら「これぞ」という対策はなさそうだ。だいたい、私とあなたでは置かれた状況からして違うのだから、同じように怖がる必要はまったくない。  ただ、おおむね言えることは、自分の感覚を、知識ではなく感覚を重要であると考えておく、というあたりだろうか。人間は、もちろん知識によっても危険回避をするわけだが、その前に生物として、自己の感覚で危機に対応できる、してきた面をバカにできないと思うのである。  腐ったにおいがしたら、賞味期限より優先的に「食べない」判断をするべきなのだ。  刃物を振り回して近づいてくるやつがいたら、そりゃあ危ないだろう。たとえ遠くの、よく見えないところからスナイパーが狙っていると知っていたとしたって、まずは刃物の方をこそ優先して対応するべきだろう。だって、そっちの方が「危ない」感じがするだろうから。

 いや、もちろんそれだけでは足りない。  願わくば、状況に応じてなにに対応するべきか分かるようになっていて欲しいものだ。  さまざまな危険性をきちんと合わせて配慮できるようになってもらいたいものだ。  ただ、たぶんそのためには人間個人の能力では足りないだろうと思う。人間なんて、そんなにたくさんを一度に考えることなんてできはしないのだから。  人工知能のようなものが求められるのは、こういうケースなのである。もっとも、人工知能そのものの危険性については十分に吟味されてしかるべきではあるだろうけれど。

 まあ、ともかく、「怖い」という話には簡単に乗らないことだ。ひとまずは、「そういう話もある」という形に留保して、さまざまな他の情報と統合的に処理しておけば良い。  人間というのは「怖い」情報をとても好む。そういう情報を使って即座に対応する、といった生き方が必要だった時代も確かにあるだろうし、きっとそうやって生きてきたのだろう。けれど今は、受け取れる情報の方が肥大して、逆に、すぐにでも命に関わるような切実な事態は減っているのだ。適正なバランスになっているとは言い難いだろうと思う。  繰り返しておくが、危険な情報を無視してもいいわけではない。あくまでも、押しつけがましい奴は詐欺であるとみなす、とそういう話だ。  ホラー作家も含めて、である。

タグ:

特集
最新のお知らせ
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Twitter Basic Square
bottom of page