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映画『オデッセイ』感想

  • 執筆者の写真: Hajime Saito
    Hajime Saito
  • 2016年2月19日
  • 読了時間: 4分

 細かいことを書こうとすれば、どうしたってネタバレになるんじゃないか、と思う。  この映画、家族で見に行って、結果、面白く見終えた。だが、面白かった点のほとんどが細部の描写に関わっており、個々に説明するのは難しいのだ。  一方、不満がなかったかといえばそんなこともない。しかしその不満の大半は、作劇上のテクニックに関わってくる。つまり、この映画がきちんと上映されるためには避けて通れなかった点を不満に感じている、ということだ。もうちょっと詳しく語るなら、スリルとかサスペンスとか、そういうものを盛り込むための方策、それ自体を私は不満に思ってしまっている、ということなのである。  なぜ不満に感じるかと言うなら、ある程度まで先が読めてしまうからだ。たとえば、物語ってものはたいてい、そうそううまくゆかない。現実だってそうだが、きちんと作られた物語は、うまくゆかなくなるための準備をしてしまう。いわゆる伏線ってやつだ。あるいは、「まだ映画が終わる時間じゃない」みたいな予測が立ってしまうのだ。そのために、サスペンスを盛り上げようとしていることがサスペンスを削ぐ、ということが起こる。  結局、見方が悪い、ということになる。  たいていの場合、先など読まなくていいのだから。  まあしかし、ネットでもよく見かける「バカがいない」という点に関しては、作劇上のパターンを破っている、ということなのかもしれない。  もっとも、私個人の感覚としては、こういうギリギリの状況においてバカが登場する、という物語はもう、評価以前の問題であったりする。  というのも、バカが出てきてもミッションが完遂できるような物語である場合、そもそもがギリギリではない、ということになるからだ。  バカが混ざっていてもなんとかなるような状況は、本当の意味でのギリギリではない、ということである。  もちろん、主人公の視点において、バカがいる、ということが織り込まれているがゆえに状況がギリギリになっていると感じられる、という場合はありうる。そういうサスペンスの盛り上げ方を完全に否定するものではない。ただし、本当に重要な問題を前にした場合、どうしようもなくバカがいるのならば、真っ先にその条件を排除すべきであると考える。十億を助けるために最初にひとりを殺しておくという選択肢のことだ(もっとも、こういう物語は実に微妙なことを起こすものだが)。そこを回避することなしにミッションは完遂できないのだ。  ということになるわけだが。  この映画において重要なのは、主人公が生き延びることである。たかだかたったひとりが生きるか死ぬかの問題である。言ってしまえば、自分自身を見捨てる、自分というバカを排除するという選択肢が常に見え隠れしている中で、どうしようか、という問題を解こうとしているわけだ。ゆえに、バカが登場して邪魔をするのは問題外ということになるのである。  と、こう書いてきて、ドラマ的にどこが気に入らないのか分かってきた。  つまり私は、この映画を、主人公がいかにして生き延びるか、という内容だと思っていたらしい。ところが、映画のほとんどが、主人公をいかに「助ける」かの物語になっていたのである。たぶん、観客が立つ視点としてそう計算されているのだ。観客は主人公を助けようとして見ている。主人公の行動を、見守ったり、助ける人たちを応援したりするわけだ。  もちろん主人公は「生き延び」ようとする。そういう面もある。しかし、全体として「助ける」というミッションの物語にシフトしてゆく。そうせざるを得ない。いや、だから、そうせざるを得ないとなる暗黙の了解を、どうやら私は嫌ったらしい。  状況が見えたら、もう、誰も彼もが「助ける」のが当然である、となる。そこに気持ち悪さを、ドラマがドラマであるがための作劇上のお約束の気持ち悪さを感じていたらしいのだ。  分かっている。  そんなのは言いがかりみたいなものだ。  そういうものだ。としか言えないのだ。  ただ、最初に私が感じた「生き延びる」から「助ける」へのシフトチェンジは確かにあるのだろう。そのわりに、その件に関する誘導が薄かったのかもしれない。私みたいに「助けるのが当たり前とは思えない」人間にとって、だけかもしれないが。

 もうなんの話だったが忘れたが、落語に「ひとり助かって(助けようとした)四人が死んでしまった」というオチの噺がある。  それを「笑う」ことを、私は肯定する。苦い笑いだが、そのようにできる感覚を、私は肯定したい。  そういう立場から見れば、オデッセイはちょっとゆるいと感じてしまう。  原作はどうなってるのだろう。確認してみてもいいのかもしれない。

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